碑名:海嘯記念碑
資料概要
- 【碑銘】
- 海嘯記念碑
- 【建立年】
- 昭和32.11
- 【施主】
- 阿部仭
- 【施主分類】
- 個人
- 【建立場所】
- (県)桜峠平田線脇、館山神社前
- 【対象災害】
- 明治・昭和津波
- 【大きさ】
- 高286㎝幅113㎝厚18㎝
- 【タグ】
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碑文面 画像一覧
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【表】顧みるに三陸大海嘯の大悲惨事は、明治二十九丙申年旧端午の宵と昭和八癸酉年新雛祭節句の未明との恐るべき二大突発事件であった。先住智賢和尚撰書の丙申海嘯溺没者碑によれば、下平田は全戸数53軒中流壊41、人□400中溺死者男35、女45、馬23、牛5頭、流壊船18艘、製塩所2棟、潮波高さ4丈、南は仁田代口、西は興平ケ鼻、北は狼ケ洞に達し、松ケ鼻の恵比寿岩12の物、怒涛に劈倒せらる。海嘯の猛烈なるを推知せよ。釜石全湾の被害は筆舌に尽くし難し。惨日何事かこれに如かんや。これもって遺族相謀り碑を建て、もって災死者精霊の菩提営まんと欲す。(明治三十五年三月十五日建立之)、と述べてあるが、遺憾ながら自然石は風化破壊して修理手におえず、有志相計りてこれを再建せんと欲し、余に撰文を乞う。併せて癸酉海嘯の記事を追加し、海嘯記念碑と題し追弔及び警句の意を兼ねる事とす。癸酉海嘯は下閉伊郡田老と気仙郡本郷とは被害最大であったが、釜石は人畜の被害軽く、死者40人。その中、平田1人だけ、もとり家財の被害は甚大だったが、下平田は倒壊流失家屋17戸。不幸中の幸と申すべし。委細は海嘯史に譲る。およそ人類には健忘性がある。後昆この碑を見聞する者、深く警誠して忘却せざるよう余の切に願う所である。
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【裏】【寄付者、寄付金の記載】
地点概要
【所在地】岩手県釜石市大字平田【緯度】39.245136【経度】141.892089
【地点備考】風化により昭和47.4.25現在地に移転
調査履歴
2019年8月 上椙英之
(夏の直射日光の為不鮮明 要再撮影)