碑名:海嘯記念碑
資料概要
- 【碑銘】
- 海嘯記念碑
- 【建立年】
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- 【施主】
- 熊谷氏
- 【施主分類】
- 個人
- 【建立場所】
- 麟祥寺
- 【対象災害】
- 明治津波
- 【大きさ】
- 高202㎝幅93㎝厚16㎝
- 【タグ】
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碑文面
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【表】恐ろしき大海嘯の我が三陸の海岸を襲いしは、明治二十九年六月十五日旧暦五月五日の午後八時頃なりき。この日、終日曇天、午後は殊に濃霧深く小雨さえ混じり、夜は月なく陰闇の気物凄き程なり。折しも、遠雷の響きに連れて怒濤澎湃すわと言う間も何らせず、万雷地軸を挫いて我が村は数十尺の高波に侵されたり。この日はあたかも端午の節句かつ田植えの頃とて他へ嫁いでいる物も帰り、一家皆打ち揃う天あり。この危急の災難誰かは免れるべき、親は子を、夫は妻を助くる間なく相率いて失いぬ。波はわずかに五分ばかりにて退けば、樹は抜かれ家は流され、満目惨憺、後数日海底に沈みし死骸累々として現る。既に腐敗して性別のつかぬもあり、見知らぬ他村のものあり、流失して影さえ留めぬもあり、かくて数うれば我が泊里の分、溺死261、各流失家屋57戸なり。ああ痛ましくも恐ろしいかな。天朝にてはこれを聞き召され、侍従東園基愛を遣わされ、各県にては皆義援して救?せられき。己当時年二十六、幸いにもこの厄を免れたれば、一つは精霊供養のため、一つはこの惨状を後に伝えんため、かくは石碑を建つるになむ。
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【裏】-
地点概要
【所在地】岩手県大船渡市末崎町字中森
【地点備考】-