碑名:宮古開港記念碑

資料概要

【碑銘】
宮古開港記念碑
【建立年】
大正4.9
【施主】
【施主分類】
【建立場所】
【対象災害】
その他
【大きさ】
高360㎝幅160㎝厚25㎝
【タグ】

碑文面

  • 【表】閉伊郡沿海有宮古山田大槌釜石之諸港而湾形婉蜒水波 静穏船舶之出入共容易而西風浪之患少者以宮古為第一 矣此地名一條天皇御宇寛弘元年始著干世文治年間閉伊 頼基占領時代稱渋田荘天正之末日黒田谷地其後日黒田 邨以来漸増人煙為一小港之状云是皆雖ロ碑之所伝而無 文獻之足徴者其品評港澳而為郡内之冠之一事則固無異 論焉耳慶長十六年会海嘯之侵来罹部落殆全滅之災時之 領主南部侯聞之頗有所計画而国事多端不能速成焉侯諱 利直南部氏廿七代之主君而大祖諱光行出自甲斐源氏文 治五年以源右府之幕舎承提封宇奥北糠部五郡建久二年 開基三戸以累代之武功鎮制四隣之叛賊?侯之世為十郡 之領主移居城干岩手郡盛岡元和元年海内之兵乱漸熄徳川幕府基礎己固諸侯各以■封内之平安為専務矣侯既平 定封内旦以上国之兵役亦就間欲視罹災後之宮古港蹶然 決親臨之一挙及遍巡視閉伊郡内通観目前之形勢按察後 来之效験遂属望干宮古港滞留数旬集隷属謀議災後之経 営欲■弘部落蒐聚居民萬躬検定幹部会郡代小本助兵衛 区画支属之巷阻旦製造宮古丸虎丸之二大船新命附属之 水夫若干繋之干浦口以備臨時之用云爾来戸口之蕃殖漁 業貨物運輪之頻煩遂年進化致今日之好果者可謂侯之豫 望得其実矣盖雖原因天禀之良港一以侯之遠望深慮興部 民之励精世世不乏其人之故也今茲有志諸人追憶創業之 恩議相謀■開港三百年之記念式勒其由干石建之伝不朽 云乃使豫作其文豫亦而舊縁之在干此地於是乎不敢辞之叙其梗概附以歌頌日水則放新式之舟探究近海遠洋以致 漁■之鍛錬陸則走新式之車修拓荒途幽逕以興交通利便 小而進郷党之段賑大而輔邦家之富強以僻陬之境為繁華 之郷 嗚呼斯■也何啻表一地方之福兆延以及宇内之海

  • 【裏】(左欄の概要)宮古の由来を述べた後、1611年に慶長三陸沖地震津波を被災したことを伝えている。津波を受けた当時は国事多端であったためすぐには対応できなかったが、1615年に至り南部氏は領内を巡視した後、都の代官に小本助兵衛を任命し、復興を行わせたことが刻印されている。

地点概要

【所在地】岩手県宮古市本町
【地点備考】

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