碑名:丙申震嘯之紀

資料概要

【碑銘】
丙申震嘯之紀
【建立年】
明治31.2
【施主】
【施主分類】
【建立場所】
【対象災害】
明治津波
【大きさ】
高260㎝幅137㎝厚16㎝
【タグ】

碑文面

  • 【表】(勅特賜性海慈船禅師永平悟由篆額)陸中沿海之地東抱大洋渺茫不知涯際西負連山蜿蜒突兀真為天剣境域閉伊郡有大邑曰山田町在崎湾甚紆回邱陵尤出没之間明治二十九季丙申六月十五日?時地微震潮遽減無幾海上鳴動如遠雷轟驀地驚濤一潟為邱陵所反激其勢更猛秡■石田宅漂蕩人畜沈溺天時暮加之細雨黯?不弁咫尺有悲鳴号哭之声耳河南一倉庫甚堅牢者僅免漂流衆争入其中或上其屋既而樹木竹石亦繋焉遂其門戸会在屋上者失火倉灰燼為之爛死者亦五十余人其惨状概如此矣潮退天明一望荒寥屋舎■無一完存者溺没者無慮八百余屍々累々不可名状而父子夫妻大低無得再会稚子求母老媼尋孫啼泣悲痛声震天地蓋此?所及陸前陸奥南北数十里死者万余田宅損害不可挙数幸得一生於万死者亦無衣食屋宅僅免陥溺而忽迫飢餓况埋濱死者乎人生悲惨可謂極矣

  • 【裏】(左欄の概要)山田町を襲った明治三陸地震津波の概要を述べている。弱い地震の後に潮が引いたと思ったら大波がやって来て、耕地や家屋、人や動物は流され、悲鳴や号泣が鳴り響いた。津波だけでなく火事も起こり、夜が明けると家も無い荒涼な風景が広がり、死者は800人程出た。そのうち、焼死は50人余である。生き残った者も衣服も食料も家も無いため、飢えに苦しんだことが刻印されている。

地点概要

【所在地】岩手県山田町後楽町
【地点備考】龍昌寺境内

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